座右の銘は「自分に甘く。他人にも甘く」の藻の日常のアホネガティブログ。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
シャロンストーンさんが四川大地震に対して
「チベットのカルマ(天罰)」といって、中国側から批判が高まる。
というニュース。
私が見たのはヤフーニュースでしたが、
いやはや恐ろしい。
別に記事の内容が恐ろしいんじゃありません。
その記事についていたコメントが。
「人権的に許せない発言」
「よく言った」
「チベットとは無関係だろ、地震大国日本人はこういわれたらどうする?」
「中国は民度が低いからな」
「家族を亡くした方々を省みるべき」
「これだから中国人は…」
「なんなの、ここ偽善者多くてキモチワルイ。親中派は言葉が汚い」
「韓国人的発言」
……なんつーか、ネーションステイトの権化、って感じですね。
国粋主義と国民というアイデンティティが如実に出ている。
生き物としての「群れ」を感じさせます。
霊長類が群れて生活する、ということを証明している感じです。
誹謗中傷枠組み偏見。
ここから分かることは一つ、「人間というイキモノは戦争が大好き」なのだろうな。
枠組みと殺し合いはよく似ている。
でも、人間は多すぎるから、それも仕方ないのかな。
そして私も、人間なのです。所詮、掘り返せば戦争を好き好んでする生き物。
何とか都合よく、気持ち悪く言えば愛といううすーい皮膜でそれを露呈せずにすんでいるのですね。
悲しい話です。
その皮膜がやぶれないように、生きてゆこうとおもいます。
成就するかは別として。
希望を持つぐらいは。
ひとは枠組みをもち、
排他し、
保身し、
臆し、
負けないために
殺し合い、
勝利して生きて、
敗北して死ぬ。
その法則を唯一ゆがめることが出来るとしたら、
それが好きって感情なのだろうな。
…なんだか、わけの分からんことを云っている。
どうせ私も先入観の塊。な の だ。
こういうとき、ブッダを尊敬する。
私が勉強している仏教は初期の仏教。
今の仏教とは違い、ブッダに人を救う神通力は殆どない。
人を愛さず
何も求めず
関わりを絶ち
自分だけのために、悟り
苦しみを離れる。
愛することも、憎しみもすべて苦しみ。
楽しむことも幸せも苦しみ。
関係することも苦しみ。
だから全部から逃げた人。
離れた人。
自分勝手で、最高に無責任な人。
私の解釈ですすべて。
仏教は勉強するようなものではないと思ってるんだけどね。
なぜなら何にも傾かない「中道」であるから、
断定する科学には当てはまらない。
それが好き。
あいまいで、いい。
メタファーでいい。
全てが解釈で成り立つのがいい。
いいも、わるいもない。
結論は、無記。(答えがあるのでもなく、ないのでもない)
それでいいのに。
PR
この記事にコメントする