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座右の銘は「自分に甘く。他人にも甘く」の藻の日常のアホネガティブログ。
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今日も、なんだかんだで暑かったです。

この写真を撮るとき、通学中だったのですが、
何回撮っても画面が暗いな…オカシイねぇ…
と、何度も撮り直したんですが明るくならず、オカシイな…
と首を捻っていたのです。
仕方ないのであきらめて、教室でその写真を見てみたらちゃんとしてる始末。

まったく。


最近のケータイは不良品が多い。
サングラスつけてたことぐらい思い出させてくれよ。

今日は、ちょっと、

いやかなり、嬉しいことが、あったんで、す。
このブログではあんまり、言わないフレーズ、ですか。


イイですかね書いても。
嬉しかったこと。

とっても嬉しかったので、その、聞いて頂きたいって云う…


絵本のことについてやる授業をとっているんですが。
課題で、絵本の創作をやったんです。
それの講評の回でして、今日は。

そいで、よかったやつを、十個くらい紹介して下さるんですね、先生が。

すごい作品たくさんあって、面白かった。
その中で、
それで、まさか紹介されてしまったのです。

まさか。

ですよ。心臓飛び上がりました。

そんなにじっくりとは紹介されなかったんですけども、

先生が、「このひとは飛び抜けて絵が上手いの」
って云われてしまった。

えーーーーーーー

もう、なんていうのかなぁ、


…私結構長い間絵描いてますが、上手いと云われることなんて殆どない
わけです。


なんかもう、震えが。


震えてしまった。嬉しくて。


やっぱこう、身内に見せるのとは違うわけで、
全然、その、関係の無いていうか、遠いヒトが、見て、
上手いと、云って下さった、わけ、で。


それが。



もう。



ウソではないと思うんです。われながら珍しく。


純粋に、褒めて頂けた、ってことが、嬉しくて。



それから、
「こういうのを描くと、誰かのに似ちゃうものなんだけど、
この人のは誰のにも似てない」

て、仰って頂けたのが…たまらなかったです。

個性的であろうとする平凡民ですが、
そう云って頂けるなんて思わなかった。
夢だったようなものなので。



ちょっと泣きそうでした。

ちょっと泣きました。







報われるって、こういうことだね。




絵本は近々、サイトで公開します。




先生ありがとうございます。



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すさまじかったですね。


今日は。


コレで通じると思う。


いやもう、本当に。
あの、あれです。ヘンに頑固でクソまじめな私が、
あまりの太陽のハッチャケぶりに授業を一個サボったくらいですよ。

だって、9時くらいにちょっと干しといたジーンズが、
14時くらいに取り込んで履いたら、


「ぅア゛チッ!!」


…〝アチッ?〟なにそれ(笑)
自分でツッコンだがな。


もう、乾燥機から出したてみたいに、ホッカホカ…
ホッカホカ、っていうか、アッツアツ。


やけどするかと思いましたけどぉ?

どうなってんの日本~えぇ~?

と、独り言。独白。ものろーぐ。

オカシナ話だよまったく。
外が乾燥機ってどういうことだよ。

また明日も暑いようです。
ああもう、何日本の夏。

今日は、中哲のヒト(院生)とお喋り。しました。
初めてかも。

イン哲から中哲の院に行く人も居るんだーへぇ~

なかなかオモシロかったです。



そういえば、あの~好みの話なんですけど。

ヨーグルトの、ね


ヨーグルト、そう、あのヨーグルト。

あれのね、開封したときの、カップのフチとフタについてる、

水分が若干落ちちゃった、あの、あの部分。


あの部分だけを集めたヨーグルト作ってくれないかな



あすこ好 き な ん で す よ…


ちょっと硬いかんじの…あすこが好きなんだよ~もっと食べたい。









脳死は人の死、だと、いう。

可決がなされましたですね。

色々むつかしいことで、頭の弱い私にはてんで理解できないことも多いのですが。

やっぱり対岸の火事というのか、距離が離れていることなぶん、
私のあまりすきでない、客観視、というものが出来てしまう。

という前提での話。


一先ず、脳死が人の死、と法律で定めるのは、オカシイのか。

オカシイとは思うけれど、仕方ないとは思う。

今回の脳死云々の可決事項に対しては、珍しく国会議員もいろいろ苦しいんだなと思いました。

真摯に向き合っている、と、思った。なんかわかんないけど。

A案に反対した人も、賛成した人も、棄権した人も、
それぞれ複雑な思いがコメントににじみ出ていたと思う。

宗教的に、とかそういうことじゃなくても、
人、を超えた決断というか、判断であるから、であると。

ある種、裁判官のような。

断罪する立場にいない人間の、断罪を便宜的に委託された人間の、
正解の無い投票であるから。

反対も是、賛成も是、棄権も是。
反対も否、賛成も否、棄権も否。

決められることではないことを、決めなければいけない人たちって、大変だ。



どっかのセンセが云うように、日本人が未だに心臓の死=人の死という思想から離れられないのは、昔からの風俗的宗教観があるから、


というのも、ないことはない、とは思うのだけれど、

やっぱり、私が思うにそれは「熱」だと。


思う。


脳死を認めるのに踏み止まるワケは。


触れたり、近づいたときの、あったかさが、失われるときが、


だと、

なんとなく感じているからじゃないのだろうか。


いのちはあたたかいものだ、なんて、くさいかんじで云うけど。

これはけっこう、そうなんじゃないかと思う。


それが血流がドーノ鼓動がドーノとかは、その、原因が如何かっていうのは、後の話で。


つめたくなったら、死んでる。
みたいな。そんな本能がある気がする。
少なくとも私は。


死は硬い。そして冷たい。
死体に触れたとき、生前どんなにいとおしんだものであっても、
それはそのひとじゃなかった。

私がそれを感じたのは、猫ですが。

今まですごく好きだった、でも、その死体は、全然愛しくなかった。

カチコチになったそれはただの、モノでした。抜け殻。

ヒドイ云い方ですが、価値の無いものでした。

この感覚が、人間を守っているのかと思います。
抜け殻まで愛しくて仕方なければ、葬儀なんて出来ない。



熱が失われれば、それは。



私はそういう風に考えてしまうので、やっぱり脳死は受け入れられないと思います。
だってまだ、あったかいのに。


というか、脳が死んでも心臓が生きていられる、という、病床がまず不自然なんだ。
脳が死んだら、心臓も止まる。
心臓が止まったら、脳も死ぬ。

そういうふうに、できているはずなのに。

そうだったなら、何も問題なかったはずなのに。
結局は自業の中からしか問題は発生しない。
皮肉にも。





移植がドーノって話に関わってくるので、脳死云々の決断だけの問題ではないと思うのですが。



移植に関しては、全面的に大反対なので、あまり考えることも無いです。


他人の一部を自分の一部に侵食してまで、生きていようと思うものかね。



体外受精とか、精子保存とか、
細胞再生とか、クローンとか、



生理的に。




今の医学の向いている方向は気持ちが悪い。






古臭いんですね。私の脳も。


新しい時代のものに、交換してくれませんか。









あ ち い。




あちい

あちい

あちい

あちい






過多。




だとは思う。


う~ん。



テスト困る。



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